オーストラリアの通常医療・代替医療・看護・介護について+趣味

メルボルン発、仕事や勉強、ボランティア活動、クライミングと子育てブログ

ピクサー映画のストーリー

 今日、子どもと一緒に映画館で「Cars2」を観てきました。

コマーシャリズムを否定する人々は、映画の封切りにあわせてどこもかしこもCars2のアイテムがあふれていることに嫌悪感を感じているかもしれません。普通の人でも、「も~、Cars(他にもTransformerが上映されているので同じように広告されてます)の宣伝ばっかり!!」とうんざりしているでしょうし、反発すら感じると思います。だから、私はそういう店頭でのコマーシャリズム、大々的なマーケティングが一般市民を誘導しようとする手法はすごくわかりやすくていいと思います。

私はそれほど「キャラクターもの」を否定していませんし、教育的に完全に「悪しきもの」でもないので(というか、私は助かっている部分もあります)、「良いトコ取り」することにしています。

私は子どもと一緒にピクサー映画をほとんど全部観ています。好きです。何が好きかというと、ストーリーです。私は自分が素のままだとオープンマインドで何でも受け入れてしまうので、努めていつも世の中を疑うようにしているのですが、ピクサー映画にはいつもだまされてしまいます。でも、それが世の中の現実なのだろうと思います。

わかりやすい悪役は、本物の悪じゃない。人々のために、地球のためにと先頭をきって行動を起こしている人、世間で「良い人、すばらしい人」と認知されているヒーローが、実は強いエゴイズムで。
まさかあの人がそんなわけない、と思えるほどすばらしいことをしている人が、実は裏では・・・。
ということが、現実には多々ある。
逆に、ヒーローぶらずに、Materのような天然giftedが、さりげなく世を救う。

ピクサーのストーリーは、マスコミや権力者の言うことを鵜呑みにしやすい一般市民(私も含め)に、「警告」を発しているのでは?とすら思います。

だから今日も「まただまされてしまった・・・。まだまだ修行が足りないな」と反省です。

正直言って、子ども映画に「環境を救おうとか、地球を救うとかのメッセージを込めました!」というのは私はわざとらしくて嫌です。大切なことは隠されている、ピクサー映画のさりげないところが好きという私は、ひねくれ者かもしれませんね。