「共感」をテーマに
カテゴリ:異文化コミュニケーション、価値観
今学期履修したカルチュラルスタディーズとコミュニケーション系の科目に影響を受けて、翻訳通訳からシフトしています。
異文化間コミュニケーション科目の最後の論文で、「共感」を選びました。
共感する、しないって何がそうさせるんだろう?
世界観が関係あるのでは?と思うようになりました。
例えば、白人的世界観を持っていると、グレタさんのような人のプレゼンに共感するのかもしれない。
私がグレタさんのスピーチに共感できないのは、You statementが強烈だからかもしれない。
つまり、自分と他者を分けて、他者をコントロールしようとしている。
自分が見ているところと他者が見ているところが違う、白人的世界観。思考。
一方、古来から日本人的世界観、そしてこれは多分世界の先住民の人たちの持つ世界観は、自分・他者、人間・自然の区別がなく、共有。
日本人ってWe ってすぐ言ってしまうけど、白人はあまりweを使わないことも関係ありそう。
teamLabの超主観空間に通じるような。
古来の日本人の視野の重なり、そして西洋人の視野との違いに注目してください。
私がこの国の医療システムに文句を言い、長男に「マミーの代わりに医者になって社会を変えて」と頼んだら、彼は、「社会を変えたいなら政治家になるべき」、と私に言いました。
ごもっとも。
そっか、社会を変えたいんだ、私。
でも政治家にはなりたくないな〜。
奇遇にも、別の方法で社会を変えるために発信する方法を、コミュニケーション科目で学びました。
この授業でも、白人的世界観で他者(アボリジナルの人々)をコントロールしようとする。
植民地主義から変わってないんです。
その世界観じゃぁ、いつまでたっても先住民の人たちを理解できないと思う。
と心の中で。
自分の人生ながら、いろいろと繋がっていて興味深い。