オーストラリアの通常医療・代替医療・看護・介護について+趣味

メルボルン発、仕事や勉強、ボランティア活動、クライミングと子育てブログ

この世は相対、宇宙は絶対。

 私は俗世の人間で、しかも仕事でいつも陰陽が身近にあります。
なので、例えば善と悪・表と裏・光と影、豊と貧、好きと嫌いなど相対する関係をみてしまいます。

最近つくづく、宇宙とかこの世の上の世界には、陰も陽も、善も悪もない、ただそこに事実があるだけの世界で、比べる(比べられる)概念がない世界なんだろうなと思います。だから例えばこの世で犯罪者だった人もこの世から出れば悪ではなく、ただ在るだけの存在。

でも、この世であっても、宇宙の大いなるものから見たら、この世のすべて、良い悪いもなく「ただ在るだけの存在」なんだろうなと思います。


って考えていたら、大学に入ったばかりの頃(子どもなりに人生悩んでいたので)、合宿の自己啓発セミナーに参加したときの「あなたの嫌いな物」を思い出しました。

一人ずつ、グループの輪の中心に出て、「あなたの嫌いな物(人)は何ですか?それは「嫌いな物(人)」ですか?」と問われる。その人は「はい」と言う。でも、グループ(リーダー)は「本当に嫌いな物か?」とまた問いかける。その繰り返し。

これはその「嫌いな物」にこだわりがあると、解除というか、思考を変えるのがとても難しい。その人の思考が変わるまで、一人に延々と何時間も語りかける。(まぁちょっとした洗脳ではあるかもしれないけど)




ただ在るだけの存在。









この世に(あなたにとって嫌いな物はあるかもしれないけど)「嫌いな物」として存在する物(人)はないんです。

ちなみに私はこのとき、「嫌いな物」じゃなくて「苦手な物」と思うことにしよう、なんて勘違いしていましたが(笑)


比べるもの(相対)のない宇宙の絶対世界ではみんなただただラク~に存在できます。この世であっても一つしか見ない盲目的な人は、絶対世界を疑似体験しているので、ある意味幸せかもしれません。ですが、それはあくまでも疑似世界。この世には確実に相対関係が存在します。

この世の相対を認めて中庸ニュートラルでフレキシブルな存在になって、この世の次の絶対世界に行きませんか?